<<1.1>>  EASY-4作成と電波科学誌への掲載のいきさつ等

 

<<1.2>>  about CIRCUMSTANCE of "EASY-4" TTL CPU creation and Publish to 

 Radio-Science magazine "DenpaKagaku"(1977,Japon)

 

 

<<1.1>>

EASY-4作成と電波科学誌掲載のいきさつ等について
                            140621~241216h Netobi.Nao
 
TTL CPU EASY-4作成までのいきさつ等と,月刊誌電波科学1977
年1~12月号への連載,その他補足的情報について,思いつくま
まに,まとめてみます.文体不統一や記述の重複など,読みにく
いかもしれませんが,ご勘弁願います.
 
 
第1部:EASY-4作成のいきさつとその後

(0) 小学3年生頃までにも漠然とコンピューターに関心があった
  (だけ). 関心を持ったきっかけは,多分,いわゆる第1次AI
  ブームについて,周囲の大人から聞きつけたからだと思われ
  る.大人が凄~~いと話題にしている事柄に,私なりに想像
  力を巡らせていた記憶がある.
  最近になって(2018年),この関心が私の人生に大きな影響を
  与えたらしいと認識した.
(1) 高校生頃にNHK教育TVでコンピューター講座(森口繁一氏の
  Fortran入門)を視聴し,Softwareがどういうものであるのか
  を認識した.
(2) 大学時代の卒業の前後にDigital回路を認識し,富崎新氏の
  8bit-Computer,ATOM-8(トランジスタ技術誌1973/05~07掲
  載;cf4.7)を作った.そうして,Hardwareから(1)のSoftware
  までのコンピューター全体を把握した.
(3) ATOM-8ではMemory(Addr)不足で殆どProgramが組めない
  為,12~16bitへの拡張や命令追加,それと並列処理化等の検
  討を進めた(1974~5年頃及;2018年にATOM-8の16bit化の
  ByteMachine,ATOM-8x2(or ATOM-82)を構想).
(4) 上記の検討中の1975年4月,知人(M氏)が立ち上げたコンピ
  ューター自作の会に誘われた.  会の名前は'MicroComputerを
  作ろう会'でMCOT(エムコット)で,会長のM氏は当月,Software
  会社に就職し,その職場関係者を会に誘い,別途私も誘われ,
  その後,私の関係者2~4人もMCOT会のメンバーになった.
  会の運営は完全にM氏が握っていた.つまり,絶対的ワンマン
  会長であった.
(5) 会の活動は土曜日で,2~3ヶ月は会長の職場を利用して勉
  強会等が行われ,会のコンピューターの構想が纏りつつあった
  が,いきなり作るには高度過ぎると,内心思っていた.構想で
  は,32bit-ByteMachineで,汎用Register方式で複数の割込み
  レベルでMicroProgram方式だったと,幻げに記憶している.
(6) その後,構想から先が進まなくなった.進めようという気
  力意欲も誰からも感じられなかった. 想像するに,皆,軽い
  ノリで会に参加し,飽きてきたとか,困難性を認識して興味を
  失ったのだと思う.因みに,会員でATOM-8等のコンピューター
  製作経験者は私だけで,時期は不明だが,ATOM-8のような入
  門コンピューターを会で作ってみたら,という私の提案も会長
  から即時却下された.
(7) そこで,1975年10月,会の活動とは別に,個人で(3)の続きを
  進める決断をし,EASY-4と命名したコンピューターの設計/製作
  を行った.
  名前の由来は,とにかくeasyに4週間で作り上げるコンピュ
  ーターである. 実際には,全体的に6週間になったが,12月上
  旬に一応完成した(後述;会長らも確認).
(8) EASY-4完成後も,MCOT会では何の動きも無く,(6)の状態が
  続いた.その後,会長M氏が後述のように,個人製作のEASY-4
  をMCOT会で電波科学誌へ掲載することを画策し,私も了承し
  た. 原稿の多くは私,一部は会員で分担して書いて,1977年
  1~12月号に掲載された.
(9) その後のMCOT会の活動はマイコンを作るという事に関して
  は全く行われなくて,自然解散状態だったが,会の事務所設立
  活動などは1977年頃まで行われていった(ようだった).
(10) EASY-4は1979年頃まで,H/W,S/Wの拡張を行い,80年代初
  め頃までは使用した.その間,CPUは常に安定して動作した.
  EASY-4の最大で最後の活躍は,いわゆる,10Puzzle問題(下記
  4.8,4.9参照)を1979年6月に解決した事だった. 概要は作製
  済のVeryTinyFortranInterpreterで解決プログラムを作り,
  10-Puzzle問題の可能解を表示し,それら全てを撮影して,
  逆に不可能Listを導き出した(先日,Wiki上(4.8)の不可能
  Listと照らし合わせて一致を確認).
(11) 外部記憶装置として,DigitalCMT(12万円,インターフェース
  誌に紹介記事),またはDisketteDrive(20万円以上,YD-74C)
  を付ける決心をし,前者と決めたが,購入寸前にそそのかされ
  て後者に急遽変更した. だが,これのControl方法が分から
  ず,悪戦苦闘しつつ,EASY-4の使用もFadeOutしていった(19
  80~82年頃?).
(12) EWSやPCを使い,EASY-4を使わなくなっていても,EASY-4
  の事は忘れていた訳ではなく,漠然とだが自作に対する検討
  も少しはしていた.  その一例で,ATOM-8以上EASY-4以下の
  規模のLiquidComputerも構想していた.
  LiquidComputerとは,電子ではなく液体の計算機で,例えば,
  電流を水流に,電圧を水圧に置き換えた面白半分(大半?)の教
  育用計算機である.当面の試しにも,水浸しに耐ええる大き
  な部屋(?)が必要等で,私の環境では製作が困難なので構想だ
  けではあるが,時々は沢山のゲート部品が動作する様子を想
  像していた.   
(13) ある時(2012年),ふと検索してみたら,EASY-4を参照して
  いるTANACOM-1の自作CPUサイトが見つかり,EASY-4を再認
  識し現在に至っている(cf4.5,4.6).
  そして,2014年4月に30何年か振りに電源を入れたが,保管
  不良での破損やICの不良化等で動作しなかった! 翌月の問
  題点対処では,動作不安定が残るが,一応は動作した(You
  Tube/EASY-4(Pt.2);4.4参照).  また,TV表示用のTVD-02
  (改)基板についても前記YouTube動画のように,動作不良で
  2017~2024年現在,解決していないが,MainStorage共々,
  Raspberry-Pi等で代用する事を検討している.
 
 
第2部:電波科学誌への掲載について
 
まず,私と前記M氏の出会いについて:
かつて,私の弟とM氏の弟は横浜市のある高校の電気部員でし
た.  弟達は卒業後もクラブの野外活動をしましたが,活動に車
とドライバーが必要になり,運転免許を持っていた双方の兄,つ
まり,私とM氏が駆り出され,出会いました.1973年の事です.
双方とも秋葉原大好き人間でした.
 
掲載誌決定のいきさつ:
EASY-4の記事を電波科学誌へ掲載する事になった理由は,そこ
の編集部にM氏の高校の同窓生か先輩(T(富田?)氏)がいたから
です. 従って,電波科学との交渉はM氏が一手に行いました.
根飛雄太というPenNameもM氏の考案です.  でも,MCOT会員が
手分けして書いたので,厳密な意味での筆者というのは存在し
ません.  但し,設計/製作の中枢部分(6~9月号)は全面的に私
が書きました.
尚,電波科学という月刊誌は,Wiki(2014年)によりますと,1933
年創刊で,日本放送(NHK)出版協会から刊行されていましたが,
85年にエレクトロニクスライフに改名,96年にパソコンライフ
に再改名しましたが,翌年に休刊だそうです.
 
原稿書きについて:
まず,電波科学誌に1年連載が決まった段階で,各号の内容割り
振りを決めたと思います.そして,月に1度,MCOT会員がどこか
に集まって(といっても数人?),M氏と私が主導して,次の掲載分
のSectionごとの担当者を決めたりしました.
担当者は出席者とは限りません. そして,各自が担当原稿を書
いたら,MCOT側での確認や調整等はせずに,直接編集部に郵送し
ました.  私もですが,会員は皆原稿書きの経験は殆ど無いは
ずです.従って,文体や説明の仕方などが全く統一されていな
い複数の原稿を電波科学編集部が受け取り,編集部でまとも風
な原稿にして出版されました. 雑な打合せで担当分を決めて,
その後のフォロー無で送っていたのですから,私には信じられな
いような奇跡的な仕事に思えました.
電波科学という雑誌は発祥はそのような名前で適切だったのか
もしれませんが,当時は既にAudioにほぼ特化した内容で,コン
ピューターがらみの記事は一切見かけませんでした. でも,それ
だからこそ,1年連載で基礎から説明する企画になったんだと
思いますが,編集部にDigital回路に詳しい人がいるとは思えま
せんでした. そんな状況で,複数の素人の書いた雑な原稿の集
まりを校正して,一見まともな記事にした編集部の努力はいか
ほどだっただろうかと,按じてました.
そして,後日,編集部が大変苦労したという話を聞きました.
やはりそうでした!  本当に,編集部は超々御苦労様だった訳
です!
 
原稿の分担と内容訂正について:
調べてみたところ,原稿は全12ヶ月の掲載分合計で62section
ありました.
5月号までの入門編に関しては,その全32sectionの内,私が14
~24section,6~9月号の設計/製作編の18sectionは,練習問題
を除き全て私で,応用編12sectionは,3~6sectionが私が書いた
と推定しました.  従って,35~48sectionつまり,2/3程を私
が書いた事になり,思っていた以上に多かったと認識しました.
残りの多くはM氏(練習問題Sectionは大部分)で,それ以外は3
~5人が各自1~2section書いたと思われます.
<<Writing RATE & ERROR Correction>>
月別の原稿の,私の推定担当Section数(/全Section数)と,内容
の正誤や補足を(気付いた範囲で)以下に記します((誤)=>正).
1月号:3~5s/7s;
  p171表1:数ヶ所の 1k w => 1K w (他の号も!)
  p173左段8行: マシ => マシン
  p174右段3行: 込した後戻り => 込したり後戻り
  p176右段下3行: (補足) => 現住所では歌舞伎町2-10-2
2月号:5~7s/8s;
  p169中段13行: Converer => Converter
  p170中段8行: Cary => Carry
  p171左段7,中段12行: 50000 => 5000; Unit => Digit
  p172右段10行: できる。 => できる(1)。
  p173左段20行: 補足:∵A+C+B=True
  p175左段下2行: Transiter => Transister
3月号:2~4s/6s;
  p170中段下8行: SMALE => SMALL
  p172右段8行:ます => です
  p172右段下11,9行:SN182 => SN74182; 起高速 => 超高速
  p174中段6行: 最後に閉じ括弧追加
  p175写真説明:筆者 => 会員
( p175写真説明:EASY-4 調整 => 周辺装置調整(一例))
  p176左段下6行: レンジ => レジ (2ヶ所)
  p176図22:CPU内に[IR]を追加し,DataBusから[IR]に接続
  p176図22:[PC]からDataBusへも接続
4月号:1~5s/5s;
  p170本文開始:開始前の[はじめに(等) ]が抜け
  p170右段下5行: 記憶,保持 => 記憶保持
  p172右段下14行:諸要 => 所要   
  p173右段下7行: 継 => 繋 (継でも可)
  p174左段4,中段3行: 継 => 繋 (継でも可)
  p174左段下7行: 整定 => 確定
5月号:3s/6s;
  p171左段27,右段12行: (分枝) => (分岐); 大く => 多く
   同中段3,下2行: フラグ => Z-フラグ; Shiftのiに点
  p172右段下5行:数例 => 数列
  p173中段7,8行: 0 Reg => 1 Reg
  p174図16: 16進Displayの画像 7_seg => 4x7_pixel
   同右段6行: 81 => 8010
  p175左段下13行: ようにと => ように,
6月号:5s/6s;練習問題がらみ以外
  p169左段33,右段3行:して => しても ; にBZ => はBZ
  p169左段下8,右段下4行:0000 => 0001; 転回 => 展開
  p170右段15行:Reg入り => Regに入り
  p172左段3行:エンコーダ => デコーダー
  p172右段19,25行:読出 => 読み出; BHI => BLI
  p173中段下10行:入力機器 => 入出力機器
  p174左段下9,中段8行:GED => GND; M1の1を下付に
  p175左段下9,右段1行:アウトアッ => アッ; のの => の
  p175表4,図13(b):Strage => Storage; 矢印が上下逆
7月号:4s/4s;
  p170図5: SN74181の端子名Ax--Ay,Bx--Byの一部が不正/不良
  p171図7: SN74198のA端子への接続 bit1S => bit15
   同右段16行: には => は
  p172左段3,中段9行: される => されるの; 行き => いき
  p174左段17,20行: はOR => ORは; ORは => NORは
  p176図28: 右端のSN7405のbit12,13は実際は未接続
8月号:5s/5s;
  p170本文開始:開始前の[はじめに(等) ]が抜け
   同表1のGateICは実体ではなく,改良版か
  p171中段下3行: 2mm => 3mm
  p172図1: GateICは実体ではなく,改良版か
  p174図4のSN7405: (0,C out) => (O-C out)
  p175右段11行: 発見し修正するだけのこと => 修正するだけ
   同右段13行: GNRS-SW は,今回はPhaseC,PC,Regに分けた
   同右段下3行: この時が => この時に
  p176左段下3行: 正しく => 正しく動く事を
9月号:4s/4s;
  p168中段2,右段下6行: 回路 => 回転; 250~1 => 250K~1
  p169中段7行: Load,LT,CA,S => Load,LT,C,A,S
  p170左段8行: コンコーダ => エンコーダー
   同中段6,右段17行: セレクタ => 選択A部; 前名 => 名前
  p171中段13行: 応の => 態の
  p172図6:SN74279 => SN7427? (SN7402等も候補)
  p174中段9行: 進します => 示します
   同右段下6,下5行: 1を,イ => 1をイ; 時は,X => 時はX
  p175左段下7行: 定 => 常; 使われている => 使われる
   同中段11行,図7表4: 番地)へ => )番地へ; ロ => ロー・
  p176右段4行: デイスプレイ => ディスプレイ
   同右段下2行: 定着 => 定義
10月号:1~2s/4s;
  p170表1,2の表記をその本体側に(∵他表と誤認)
  p171左段9行: もどり,番地つま => もどり番地,つま
  p172左段7,8,中段18行: 真 => 負; I/D => I/O; IC => IO
  p173図4: DUMPの引数の花文字は次Page図7
  p174表4: THOUZ~TENの DC => DH
  p175左段15,24行: めど => めば; 5月号,6 => 5,6月号
   同表5: MASK,FDATA以下の DC => DH
   同表5: WKの後の03D2,3番地の定義記述が抜け(不明)
  p176表7,8: ORGの 03ED => 03E0; PPLS~RTN行記述不正!!
  この他,『標高2591m国師ヶ岳山頂でフィールドデイコン
  テストに挑戦』という記事がグラビアに2pageで掲載
11月号:1~2s/4s;
  p170中段13行: 流を => 源を
  p171写真1:参考例(説明にも)
  p172左段2行: DELELED => DELETED
   同図2: [特許出願中]は嘘,未出願(私+M氏の合成案)
  p173表4他: 7x9(横縦) => 5x7(横縦);翌月のTVD-02も
  p175右段8行: 発売したい => 発表したい
  p176表5左右,左下3: 全ての 0FST => OFST; 1A8 => 1B8
   同表5右下3: sp SAVE 1D2 sp sp => SAVE DS 1 1D2
   同表5右下2: sp RETN  D3 sp sp => RETN DS 1 1D3
   同表5右下1: sp sp END => sp END sp
   同表5右下1~14: Op(DC?),Operand等が省かれてる!!
   同中段下9行: HAGE => HANGE
12月号:1~2s/4s;
  p170中段3,右段5行: などさ => など,さ; マン => マイ
  p172写真2,右段下8行: TVD-2 => TVD-02; その => ,その
  p173写真3(a)の5行目ゴミ Gx30 => G!30
  p173左段15,18行: 2 => 1; ついでに => 2ドットにして,
  p173左段19,中段5行: 6 => 4; せつかく => せっかく
  p173右段3行: 行番号10 => 行番号50
 << 原稿補足情報終わり >>
 
 
第3部:その他,補足
EASY-4がらみのその他の点について,思いつくままに列挙して
みます.
 
3.1:実行速度(Clock)
EASY-4の1命令の実行時間は7.5μSec.ですが,これが限界かど
うかは分かりません. EASY-4のClockは7413を使ったCR発振
なので,Cを変えるだけで,かなり広い範囲で発振周波数を変え
られます. 低速でのCPUの動作確認が終った後,適当にコンデ
ンサーを接続して動かしたてみたら,動きました.Programの
実行速度から1命令の実行時間を調べると上記の値でした.
当時はオシロスコープは持っていないので,限界速度まで追い
込む事は困難ですし,私としては十分満足のいく速度で,しかも
完全に安定して動作しましたので,そのまま使っていました.
2014年にはClock-SWを改良して,High/Low/Manualを選択可能
にしました.
 
3.2:全体回路図
2012年頃,全体回路図は何処ですか?というような質問を別の
サイトのコーナーからいただいたような記憶がありますが,当
時はその質問に明確には答えられませんでしたが,今(2016年)
は全体図は無い/作らなかったと分かりました.
1週間の設計期間(実際は1.5倍ほど)で作成したのは,①ブロッ
ク・ダイアグラム,②コントロール・ロジック,③ICレイアウト
と若干の補助資料です. ①と前後して命令体系と命令内容を
決めている筈ですが,その後,②の前にクロックやフェーズの定
義をしましたので,全体回路図は全く必要性が感じられない訳
です.その代わり,配線には3つの資料を読みつつ作業します.
 
3.3:MCOT会の電波科学誌への発表がらみ
前記1部(4)のように,MCOTの会員は会長M氏をルートとした知
人で構成されていましたが,電波科学への掲載で興味のある読
者からの連絡を募りました.その結果,30人以上から(写真参照
)手紙が来ました.  その方たちへどう連絡したのかは不明で
す!  手紙を私が保管しているので,保管担当は少なくとも当
初は私だったと思います. でも,どのような連絡を返すかも会
長が完全に握っていましたので,多分,『現在会員制度を検討中
ですので,今しばらくお待ち下さい』というようなダミー返信
をして,(済)マークを私が書いたと思われます.
遅めに来た手紙には(未)と書いておいたと思われます. そして
検討中というのは実質的には嘘で,何もしていないと思われま
す.  皆様,ごめんなさい.この場を借りてお詫びいたします.
尚,MCOT会の住所は電波科学1月号では東京都新宿で,2月以降
は川崎市中原区と掲載されていますが,中原区の住所は私の粗
知らない連絡先なので,会の実質的解散後の手紙の送受につい
ては一切不明です.
 
3.4:MCOT会の会費
会員には普通会員と'上級'会員がありました.違いは月額会費
で,普通は千円,上級は5千円でした. 上級は,会長と私とF氏
の確か3人でした. 上級でも,運営上の違いは特には無く,会
長だけが一切の決定権を持っていました.
会計担当者もいて,会の銀行口座も設けていましたが,会計に関
する報告も極く初期の頃は覚えていませんが,それ以降は一切
ありませんでした.
電波科学誌へ掲載の原稿料がいくらで何処に入金されていたの
かも,私(達)は知らされませんでした.
 
3.5:Debug期間
EASY-4の設計開始時点では,設計に1週間,部品調達と製作に2
週間,Debugには1週間を見込みました(Total=4).  全体で4
週間の予定が1.5倍の6週間になったので,Debugも1.5週間かか
った事になりますが,実態は1週間もかかっていないと思いま
す.  残りの期間は,電源装置の確保やIPLの検討や作成などに
費やされたと思われます.電波科学1977/08に書いたように,
ICの不良が2,3有り,その発見と交換が主なDebug作業で,後は
ステップ動作で各命令が動作するのを確認するだけに近い簡単
な作業だったと記憶しています.
設計期間は1週間予定でしたので,検討を要する部分の設計は
暫定でした.  時間をかければ,もっとまともになったと思い
ますが,とりあえず,easyに作る事を優先しました. Debugに
ついても同様で,ちゃんと調べれば設計上の問題や仕様未決定
事項も多々ありますが,その解決は後日検討としています.
 
3.6:最初のDigital回路設計
人生最初のDigital回路設計がEASY-4だったと述べたと思いま
すが,その前に,CharacterDisplay基板を設計したようです.
1974~5年にCG-ROMを入手しました(CG=CharGenerator:文字
のBitmapImage).  しかしどんな文字バターンかは分からない
ので,簡易表示回路を設計製作してみました.表示といっても
借り物のX-Yオシロで表示します. これが最初のDigital回路
設計です. 結果は成功でしたが,文字内容はカナ文字だけで,
がっかりしました!
 
3.7:10Puzzle問題の解決
テンパズルと呼ぶのらしいですが,1979年6月にEASY-4上の
VTF(VeryTinyFortranInterpreter;VTL似の極小言語;cf4.11)
でAMI_10という総当り解決Programを作成し,10日程かけて実
行して,131画面の解答例を撮影しました(cf4.10).
ここではこれ以上の説明は省略します(別途,説明を検討).
 
3.8:VRAM,TVD-02の改造
1977年,EASY-4にVRAMとしてAdtekSystemScience製のTVD-02
を購入しました.
TVD-02では,5x7pixelのASCIIのBitmap文字を6x8の表示エリ
アに表示させます.そうすると,文字間が1pixelですが,こち
らのTV表示では1pixelの空きがきちんと空いて表示されなく
て,隣の文字と繋がり文字として読むのが極めて困難でした.
そこで,4x6pixelのBitmap文字を作成し,別途購入したPROMに
書き込み,標準搭載のROMを外して,文字間を2pixelにして,ま
ともに読めるように改造しました. また,文字コードをASCII
からEBCDICに設定しました.  当時はEBCDICの方が私としては
馴染んでいたからです.
ROMのPin配置が本来のとは異なるので,逆さにしたりして接続
しています(cf4.13).
 
3.9:I/O誌との付合い
1976年11月頃,I/O誌の創刊を知り,M氏を誘って代々木のI/
O誌の編集部(≒NK氏の部屋?)を訪れ,ほんの少しの時間ですが
,NK氏と情報交換しました.
私はその後も何度か訪れましたがNK氏は不在がちで,主に編集
長HM氏と面会し,I/O誌に記事を書くようになりました.最初の
記事は3x5pixelの最小フォント等の提案だったと思います(19
77年3月号).
1977年6月頃のI/O誌の分裂騒動後も,私は残り,I/O誌に
VTLならぬVTF言語インタープリター(Very Tiny FORTRAN Inter
preter)の作成記事を書いたり等して(cf4.11,4.12),1980年10
月頃まではHM氏と限定的に付き合いました.  私のI/O誌へ
の推定執筆記事概要を以下に示します(4.12も参照).
 3.9.1; Random Access Dictionary:およそ,1977/05~78/02
で20数項目を担当した(らしい).項目の選択は殆どが編集長で
あった.
 3.9.2;ソフトウェア道場:1977/03に4x6,3x5pixelの極小bit
map文字の提案.
 3.9.3;音楽演奏アルゴリズム:1977/05に2,4,8‥倍音付の音
声出力D/A変換アルゴリズムの提案.
 3.9.4;日立製H68/TRの改造や付加:1978/02~1979/04頃にTV
画面表示への改造やVTF言語,無線コンテスト・サポート,ライ
フ・ゲーム等の記事を投稿.
 3.9.5;タムシ・ゲーム:1979/09にTanaquaxさん提唱のタムシ
増殖モデルをEASY-4/VTFで実行した結果を投稿.
 
3.10: ユーザーI/F機器
EASY-4にはBit対応のLED表示はありますが,Bit入力Switchiは
設けていません.
また,紙テープの入出力やテレタイプも使わない前提で設計し
ました. 電波科学へ掲載した記事では,紙テープ入出力を使っ
ていますが,これらはMCOT会長の私物などを一時的に借りて試
しているだけです. かつて,私はこれらを使った事があります
が,とにかく使いにくいし,高価だったり,大きかったり,重かっ
たり,騒がしかったり,等という悪い印象だったので,なるべく
は使わない方針でした. Bit-S/Wを使ったブートではなく,
Monitor-ROM(たったの32word!)と16進consoleで立ち上げま
す(電波科学9月号掲載).
画面表示端末や感熱プリンターは欲しかったのですが当時は高
価だったので,LED-arrayを団扇のように扇いで表示機器にする
とかの検討もしました.
結局は,VRAM(TVD-02,cf4.13)を購入し,TV画面を写真撮影して
凌ぎました.  Keyboardは11月号掲載のように,半自作です.
 
3.11: EASY-4の復活
2012年4月に何かの検索で,TANACOM-1というCPU(TTL,16bit)
製作者のWebSiteを見付け,その中でEASY-4を参照している事
を知りました(4.1参照). 早速,連絡を取り,秋葉原で製作者と
面会しました.また,石本雅夫氏のロジック工房社がEASY4jr
というEASY-4を元にしたSimulatorを作成されている事も知り
ました(cf4.2,4.3).今頃,EASY-4の事が話題になるとは夢に
も思わなかったので,大変驚きました. 当時(2011~2年)は
TTLでCPUを作るという事に興味のある人が,Internet上でかな
り賑わっていたようです!
そこで,我がEASY-4も30何年振りかで動かしてみる事にしまし
た. 保管状態が悪かったのと,IC不良などの理由で,動きませ
んでしたが,一部を修理して,限定的ですが,動くようになりま
した(4.4参照).  CPU完成40周年を過ぎても,同様の状態で動
作しています.ところが,2017年に試したところ,MainStorage
0x0019番地(ROM-Monitor area)の読込が不良でした.BCDESの
領域なので,問題追求が厄介な為,放置しています. 42~49周
年時点(2018/01~2024/12)でも同様でした.
 
 
4: 参考サイト
 4.1;TANACOM-1: http://tanacom.jpn.org/index.php?Journal
 4.2;EASY4jr: http://www.h4.dion.ne.jp/~ishimoto/ES4jrMa
in.html ; 但し,2017年末で閉鎖らしい?!
 4.3;EASY4jr: http://nekonimattya.blog.fc2.com/blog-entr
y-5.html
 4.4;EASY-4: http://www.youtube.com/watch?v=qpMIN_qK4qI
 4.5;CPU自作集:"ず's - CPUそのものの自作記事集 - Zu":
https://wiliki.zukeran.org/index.cgi?CPU%A4%BD%A4%CE%A4%
E2%A4%CE%A4%CE%BC%AB%BA%EE%B5%AD%BB%F6%BD%B8
 4.6;鈴木哲哉著'インテル8080伝説'に電波科学の記事掲載:
https://books.google.co.jp/books?id=5pMnDwAAQBAJ&pg=PT47
&lpg=PT47&dq=EASY-4+電波科学&source=bl&ots=k
 4.7;ATOM-8(私のpt1/1974): https://www.youtube.com/watch
?v=PNtf-lDKbVM
 4.8;10Puzzle.wiki: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83
%86%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%BA%E3%83%AB
 4.9; 10Pulzzle(make10): https://youtu.be/JslkN8IulNA
 4.10; 10PuzzleCheck: https://plus.google.com/collection
/wpuRkB
 4.11; VTF Interpreter: https://plus.google.com/collecti
on/kcUEkB
 4.12; EASY-4及び関連写真: https://plus.google.com/photo
s/100396672514148749335/album/6518318732702362337?authke
y=CNWb9ryzi4_rxAE
 4.13; TVD-02.Modify:
     https://easy-4netobi.jimdofree.com/2-easy-4-design-
doc-etc/
     https://plus.google.com/collection/wPn8mB
---  以 上  ---

===========================================================================

 

  

 

<<1.2>>  is English liek version of <<1.1>>

========================================================================

  

 

  about CIRCUMSTANCE of "EASY-4"  TTL CPU  and Publish to   

Radio-Science magazine "DenpaKagaku"(1977,Japon)

                                                  140621-210524h by Netobi.Nao

 

 

 How to create TTL CPU EASY-4, and publish monthly Radio-Science 

magazine DenpaKagaku 1977/01 to 1977/12, Let's summarize it as it come 

to think about series and other supplementary information. 

 Duplication of description and inconsistency may be difficult to read, 

please pardon.

 

 

PART 1: How and after creation of EASY-4

 

(0) I was vaguely interested in computer until I was third grade 

elementary school. 

 It seem that reason why I was interested was probably because I was 

imagining so-called first AI boom in what surrounding adult talked 

about so amazing!  Recently(2018), I recognized that this interest 

seemed to have big influence on my life.

(1) When I was high school, Computer lecture on NHK Education TV 

(Moriguchi Shigekazu's FORTRAN introductory course) was stated, and 

recognized what computer software is.

(2) Recognizing digital circuit before and after graduating university, 

8bit-computer ATOM-8 (by Mr. Tomisaki.Arata(富崎.新), Transistor 

Technology Magazine(ToraGi"トラ技") 1973/05-07,cf4.7) was made.  Then, 

entire computer from hardware to software(=1.previous) was grasped.

(3) Since ATOM-8 had too poor programming ability, such as too small 

memory(address),it extend to 12-16bit or/and add instructions and 

parallel processing, etc. were investigated (1974-5;cf4.7; In 2018, 

extension to 16bit ByteMachine of ATOM-8 conceived ATOM-8x2 or ATOM-82).

(4) During above examination, in 1975/04, my acquaintance (Mr. M.) 

started computer production amateur club. Then I was invited.

 Name of association is 'MicroComputer creatiOn meeTing' at MCOT,

This month, Mr. M(MCOT chairman) got job at software company and 

invited employees to MCOT, and I was invited too. And then, two or 

four of my participant became member.

 Management of club was entirely held by Mr. M In other words, he was 

president of man.

(5) Activity of club will be held on Saturday, and study meeting will 

be conducted for two or three month using Mr. M work place.

 Idea of computer of club was getting group, but it is too advanced to 

make it suddenly, I was thinking inwardly. In concept, it will be 

bytemachine of 32bit, general register method, microprogram method, 

multiple interrupt level, I remember in phantom.

(6) Thereafter, plan was not progressing. I can feel willingness to 

move forward. To imagine, everyone joined MCOT club in a light mind, 

but tired or felt difficulty, then lost interest.

 By the way, I am only person who has experienced computer making such 

as ATOM-8 by member.

 But my suggestion was to make introductory computer like ATOM-8 at 

meeting was also rejected from chairman.

(7) In 1975/10, I decided to proceed with continuation of (3) 

individual, separately from activity of club.

 I designed and produced computer named EASY-4. Origin of name is that

that's easy to build in 4 week. In fact, overall it was 6 week, but it 

was completed tentatively in early December (see also).

(8) After completion of EASY-4, there was no movement at MCOT at all, 

and state of (6) continued.

Then, as described below, Mr.M planned to post personal production 

EASY-4 article to Radio Science monthly magazine(DenpaKagaku) at MCOT.

I also agreed to post it. I wrote many of manuscript and part of was 

club member. It was written in January-December issue of 1977.

(9) Activity of MCOT is nothing at all about making computer. It was 

natural dissolution state, but establishment of club office, it was 

like that.

(10) EASY-4 expanded H/W and S/W until around 1979, until early 1980s 

used. In meantime, CPU always worked stably.

 EASY-4's biggest and final activity is so-called 10 puzzle problem 

(see below 4.8,4.9) solution. It was settled in 1979. Synopsis first, 

create VeryTinyFortran language interpreter, and then possible solution 

display program for 10puzzle and photographing them, then editing  

impossible list.

 Recently, I confirmed match against impossible list on wiki(4.8) 

check.

(11) To add as external storage device, DigitalCMT (120KYen, 

Introduction was in magazine.INTERFACE), or Diskette drive (more than 

200KYen:YD-74C), I decided to add former, but on verge of purchase,

changed suddenly to latter. However, the control of this drive, without  

know-how, and struggling to fadeout. And use of EASY-4 too(1980-82?).

(12) I did not forgot about EASY-4, even if I used EWS or PC and no 

longer use EASY-4. Consideration to homebrew was little vaguely. In one 

example, Liquid-computer of scale between ATOM-8 and EASY-4 were also 

conceived.

 Liquid-computer is computer that is not electronic computer, for
example, current is water flow, voltage is water pressure.
This is most fun. It is educational machine.
 For immediate test, large room to withstand flooding is necessary.

 It is difficult in my environment. So, only in concept, I sometimes 

imagined many gate parts would work.

(13) At certain time (2012), on try to web search, I found TANACOM-1 

homebrew CPU web-site is referring to my EASY-4. So, I re-recognizing 

EASY-4, and have reached present(cf4.5,4.6).

In 2014/04, power was turned on for 30 year, but it was damaged by 

poor storage. It did not work in failure of TTL-IC or like too! On next 

month, to deal with problem, however operation instability still remain, 

it worked little(YouTube/EASY4(Pt.2);cf4.4). 

 Also, TVD-02(+imprv) VRAM board for TV display, as shown in YouTube 

video, work little.

In 2017, although not resolved, with MainStorage, Raspberry-Pi, etc. I 

am considering substitute.

 

 

PART 2: About publication to DenpaKagaku magazine(電波科学誌)

 

 First of all, about me and Mr. M's encounter:

 Once, my younger brother and Mr. M's brother was electric-club member 

of high school in Yokohama. Even after they graduated, they still did 

club activity, but they needed car and driver for their outdoor 

activity. But they did not have both. Therefore, I and Mr. M, both 

had driver licence, and we met us. It was in 1973, both were people 

who loved Akihabara electronics parts shop town.

 

Detail of publication magazine decision:

 Reason why article of EASY-4 was to be posted in DenpaKagaku magazine 

is that Mr. M's high school classmate (or superior) Mr. T was in 

editorial department there. And Mr. M named Netobi.Yuuta as this 

article author pen-name. But writer in close meaning does no exist.

 This is because plural MCOT member wrote it, but I wrote most(60-75%?).

 Therefore, all negotiation with DenpaKagaku editor was conducted 

by Mr. M. But I wrote whole part of CPU design/production section(1977/

06-09 article).

 In addition, according to wiki(2014), radio-science magazine called 

DenpaKagaku was launched 1933 by NHK publishing company, and it changed 

name to Electronics-Life in 1985, and it changed name to Personal-

Computer-Life in 1996, and it was discontinued in 1997.

 

About manuscript writing:

 First, we maybe decided to allocate contents of each month, when 

decided one year(1977/01-12) serial to DenpaKagaku.  And each month, 

MCOT member get together somewhere (even few people?), I and Mr. M led 

and assigned personnel for each section. Person in charge may not be 

attendant. And when each person write manuscript in charge, without 

confirmation or adjustment, sent directly to DenpaKagaku editor.

 I and all MCOT member too, had scarcely little experience of writing 

manuscript. Therefore, style and manner of explanation is completely 

inconsistant maybe. DenpaKagaku editor received such plural manuscript.

 And they edit it to decent manuscript and published. We decided charge 

in crude meeting and sent manuscript without follow-up, so Denpa-

Kagaku editor's job seemed like miraculous job that I cannot believe. 

 Originality of radio-science magazine DenpaKagaku may have been 

appropriate with such name, at that time, it was already almost 

specialized in Audio, cannot see any article about computers. But, 

that's why it is project to explain from basic of computer technology 

in series for 1977 year. So, there is no computer expert in editorial 

department. Under such situation, I wonder how much effort was spent by 

collection of miscellaneous manuscript written by several amateur. 

 And later, I heard that editorial department had very hard time. It's 

still so. Really, editor was super-hardship!

 

About Sharing of manuscript and correction of contents:

 As result of investigating, there were 62 section in total 12 month 

publication. Regarding introductory story up to 1977/05 issue, among 

total 32 section of that, I maybe took 14-24 section. Next 18 section 

of all design/production edition section (1977/06 to 09), is me.

 Applied section(12 section), I presumed that I wrote 3-6 section.

 Therefore, 35 to 48 section (56% to 77%), I wrote, which was more than 

I thought. Many of rest are Mr. M(exercise section is large part), 

except for 3 to 5 other member wrote 1-2 each, I think it was written.

 

 Each monthly edition, I estimate number of my charged section(/ total 

number of section) .

And, error correction list is in Japanese document 

"(Writing RATE & ERROR Correction)" item.

 

Format :

YearMonth#:n1~n2/n3 s:section(see above);

 

7701:3~5s/7s;

7702:5~7s/8s;

7703:2~4s/6s;

7704:1~5s/5s;

7705:3s/6s;

7706:5s/6s;Except Exercise

7707:4s/4s;

7708:5s/5s;

7709:4s/4s;

7710:1~2s/4s;

      There is also gravure page, where EASY-4 was taken out to outdoor
      Field day amateur radio contest on 1977/08.

7711:1~2s/4s;

7712:1~2s/4s;

 

  

 

 

PART 3: Other, Supplemental

 I'll enumerate other point of EASY-4 without thinking.

 

3.1: Execution Speed (Clock)

 Execution time of one instruction of EASY-4 is 7.5μsec, but it is not 

clear whether this is limit or not. Because clock signal of EASY-4 is 

CR oscillation using SN7413 TTL-IC, just by changing capacitance(C), 

oscillation frequency can be changed in wide range.

 After CPU operation checking at low speed, I properly changed some 

condenser. Then CPU was worked. Execution time of one instruction was 

calculated at above value. Since I did not have oscilloscope at that 

time, it is difficult to drive to limit speed. And as I was satisfied 

enough speed, and it worked completely perfectly, so I used it as it 

was. In 2014, I improved clock-SW to select High/Low.

 

3.2: Whole circuit diagram

 In around 2012, I received such question that Where is whole circuit 

diagram?, or, Is there whole circuit diagram? from web-site.

 At that time, I cannot answer that question clearly. But now(2016), 

I realized that I did not made whole circuit diagram. As I only have 1 

week(actual 1.5w), for design period, I made (1):BlockDiagram, 

(2):ControlLogic, (3):IC-chipLayout, and other supplemental document.

 At same time as design block diagram(1), it is likely to have decided 

instruction system and instruction content, and then, before (2), 

I defined CPU-clock and InstructionPhase.  So, whole circuit diagram 

does not feel necessity at all.  And, whole circuit diagram was not 

made. Instead, I worked on wiring by reading those 3 document.

 

3.3: Around article to Magazine and MCOT relation 

 Member of MCOT consist of acquaintance who made Mr. M as route,like 

above Section 1-(4).  As DenpaKagaku magazine article, we collect 

member who interest us. Result is more than 30 people(see photo) send 

us letter. But how did reply was obscure. I keep letter, so safekeeping 

charge was maybe me, at last at first.  But only chairman grasped what  

kind of contact to return perfectly.  I probably dummy replied like 

"Membership system is being considered at preset time, so, please wait 

at moment" and marked to letter as already-send. And received later, 

I marked not-yet. I think it is virtually lie, and we do nothing to 

them, sorry. I apologize in this place.

 Address of MCOT club is in 1977/01 issue is Japon/Tokyo/Shinjuku, and 

since 1977/02, Kanagawa/Kawasaki/Nakahara. But I do not know latter 

address. So, letter after dissolution of MCOT is not know at all.

 

3.4: Membership fee for MCOT club

 Member classification included normal and senior. Difference is only 

monthly membership fee, normal is 1000Yen, senior is 5000Yen.  Senior 

member was 3 people, chairman Mr.M and Mr. F and me. Difference in 

administration did not have, even if senior member. Only chairman had 

all decision right.

 There was account person in charge too, and established bank account 

of MCOT. But I did not extremely remember report about account (as I do 

not remember early day). I(we) was not informed of manuscript fee of 

DenpaKagaku 1977 publication was how much, and where it was received,

I(we) was not informed.

 

3.5: About EASY-4 Debug duration

 At start of design of EASY-4, it took 1 week for design, 2 week for 

parts purchase and production, 1 week for debugging. Overall 4 week 

schedule will be actual 6 week. So, debugging period has also reached 

1.5 week, but it did not take within 1 week. I think rest of period is 

spent on securing power supply, and considering and create IPL

(Initial Program Loader) system maybe. As I wrote DenpaKagaku 1977/08, 

2-3 IC-chip was defective, and their discovery-change process time was 

mainly wasted. After that, confirm operation of each instruction in 

step action. I remember that it was little easier task.

 Because design period was planned 1 week, design part that need deep 

consideration was provisional. I think that it became more decent CPU 

if I took more time to design, but being easy and prioritized schedule.

 Same is true for debug.  So if we examine it properly, there is many 

design problem and unspecified item, but we will consider that solution 

at later date. 

 

3.6: About First digital circuit design

 I told that first digital circuit design in my life was EASY-4, but 

before that, it seem to have designed Character display board.

 I got CG-ROM in 1974-5 (CG = Character image Generator bitmap).  But 

did not know what kind of character image it was. So, I tried to design 

and produce simple display circuit. Display was borrowed X-Y 

oscilloscope. This is my first digital circuit design. Result was 

success, but result content was only Japanese-kana character and was 

disappointed!

  

3.7: Solving 10 puzzle problem

It seem to be called Ten Puzzle. To obtain puzzle solution, program 

named AMI_10 VTF(=Very Tiny Fortran;VTL like interpreter;cf4.11) 

executed on EASY-4 in 1979/06.  This full combination check program run

it over 10 day and display 131 screen answer(cf4.10).

 No further explanation is omitted here (separately, consider 

explanation).

 

3.8: Modification of TVD-02 VRAM

 In 1977,I purchased TVD-02 made by AdtekSystemScience co., as VRAM on 

EASY-4.  Then, TVD-02 display ASCII bitmap character of 5x7 pixel in 

6x8 display area.  Then, space between character is only 1 pixel.  But in 

my poor TV display, 1pixel space was not enough to separate character

image  clearly; neighbor image was concatenated. So, cannot recognize as

each character.

 Therefore, I create 4x6 pixel bitmap character and write it in 

separately purchased PROM. And exchange ROM. So make 2 pixel between  

character, so that we can read it normally.

 In addition, I set character code from ASCII to EBCDIC. That was more 

familiar as me.  Because pin assignment of ROM is different from 

original one, it is connected upside down and wire connected(cf4.13).

 

3.9: Relationship with "I/O" Magazine

 In 1976/11, Knowing launch of micro computer magazine named I/O, and 

then invited Mr. M, we visit editorial office of I/O magazine in Tokyo/

Yoyogi(≒Mr.NK's room?). And we exchanged information with Mr. NK for 

short time.  I visited there several time, but Mr. NK tended to be 

absent, so I mainly met with editor-in-chief Mr. HM.  Then I'm writing 

article in I/O magazine. First article is 3x5 pixel minimum font on I/O 

1977/03 issue.  After divorce of I/O magazine around 1977/06, I remain 

on I/O magazine side, and wrote VTF language interpreter (very Tiny 

FORTRAN Interpreter) article, etc.(cf4.11,4.12).            My limited 

relationship with I/O magazine(Mr. HM) continued until around 1980/10.

 Estimated writing to I/O magazine summary is below(see also 4.12).

 3.9.1; Random Access Dictionary : Approximately 20 items were handled 

by me in 1977/05 to 1978/02(apparently).  Almost all items selection 

were editorial chief(Mr. HM).

 3.9.2; Software TrainingStudio: Proposal very small bitmap character 

of 4x6 and 3x5 pixel to 1977/03 issue.

 3.9.3; Digital Music play algorithm: Proposal audio output D/A 

conversion with 2,4,8,...overtone play algorithm.

 3.9.4; Modification and Addition to Hitachi/H68/TR: About 1978/02 to 

1979/04, I posted article about How to display to TV screen, or VTF 

language install, or Amateur radio contest support, or Life-game, etc.

 3.9.5; Ringworm game: Posted on 1979/09, EASY-4/VTF simulation result 

of Ringworm growth model, advocated by Tanaquax. 

 

3.10: User I/F equipment

EASY-4 have bit-state LED, but does not have bit input switch.

It was designed with premise that input and output paper-tape and 

teletype device are not used.

In article published in DenpaKagaku, I use paper-tape I/O, but these 

are just trying to borrow from MCOT chairman's belonging temporarily.

 Once, I have used, but it is difficult to use anyway, it is expensive, 

or large or heavy or noisy, etc. So, it was bad impression for me.

 Not boot using bit-S/W, monitor-ROM (only 32word!) and launched in 

hex-decimal console (DenpaKagaku/1977/09 issue).

I wanted screen display terminal and thermal printer, but because it 

was expensive at that time, LED-array was considered to be display 

device, like vibrate fan.

 In final, I bought TVD-02 VRAM(cf4.13) and to shoot TV screen and DPE 

later.  Keyboard is semi-homebrew (DenpaKagaku/1977/11 issue).

 

3. 11: Revival of EASY-4

 When 2012/04, I found web-site of TANACOM-1 CPU(TTL,16bit) producer. 

 And knew that he referred to EASY-4 in that (cf. 4.1).  So, I 

contacted at once and met him in Tokyo/Akihabara.  In addition, 

"Logic-studio" by Ishimoto.Masao(石本雅夫/ロジック工房) made TTL logic 

circuit simulator on Windows-PC. And combination of TTL-similar made 

EASY-4 like 16-bit CPU.  Simulator from EASY-4 called EASY4jr was made 

(cf4.2,4.3).  Because I never dreamed that EASY-4 became topic at this 

time, I was surprised very much.  As for (2011-2 year), Person who was 

interested in making TTL CPU seemed to be considerably excited on 

Internet in those day!

 Therefore I decided to power-ON my EASY-4 for 30 several year. 

 For reason of bad storage, and IC malfuncion, it did not work, but I 

repaired partial, and then it restrictive work (cf. 4.4).   It work 

similar state even if over CPU completion 40th anniversary. 

 However, after trying it in 2017, MainStorage reading (Addr=0x0019:

ROM-area) was failed. Because problem pursuit is difficult because it 

is domain of BCDES(ROM-Monitor), I leave it unattended.  

 Even 42nd to 45th anniversary (2018/01--2021/04) is similar.

 

 

 

4 : Reference below:

4.1; TANACOM-1: http://tanacom.jpn.org/index.php?Journal

4.2; EASY4JR: http://www.h4.dion.ne.jp/~ishimoto/ES4jrMain.html

However, 4.2 seem to be closed at end of 2017?!

4.3; EASY4JR: http://nekonimattya.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

4.4; EASY-4/Pt.2: http://www.youtube.com/watch?v=qpMIN_qK4qI

4.5; CPU Homebrew Collection: "Zu"s-self-made article of CPU :

https://wiliki.zukeran.org/index.cgi?CPU%A4%BD%A4%CE%A4%E2%A4%CE%A4%CE%B

C%AB%BA%EE%B5%AD%BB%F6%BD%B8

4.6; Suzuki.Tetsuya(鈴木哲哉),'Intel 8080 Legend(インテル8080伝説)' 

article published in DenpaKagaku(電波科学) magazine :

https://books.google.co.jp/books?id=5pMnDwAAQBAJ&pg=PT47&lpg=PT47&dq=EAS

Y-4+電波科学&source=bl&ots=k

4.7; ATOM-8(Mine/pt1/1974): https://www.youtube.com/watch?v=PNtf-lDKbVM

10puzzle (Make10) Reference site:

4.8; 10_Puzzle.wiki: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%B3%E3

%83%91%E3%82%BA%E3%83%AB

4.9; 10_Puzzle(make10): https://youtu.be/JslkN8IulNA

4.10; 10_PuzzleCheck: https://plus.google.com/collection/wpuRkB

4.11; VTF Interpreter: https://plus.google.com/collection/kcUEkB

4.12; EASY-4 & Related photo: https://plus.google.com/photos/10039667251

4148749335/album/6518318732702362337?authkey=CNWb9ryzi4_rxAE

4.13; TVD-02.Modify: 

            https://easy-4netobi.jimdofree.com/2-easy-4-design-doc-etc/

 

            https://plus.google.com/collection/wPn8mB

 

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